フトした瞬間に自分に伝えたいこと

寝ていると、夢で仕事で苦しかった場面が出てきて、自分でも分かるくらい大きい声で目が覚めた。振り返ると自分は、結構完璧主義なんだと思う。ミスをすることを、とても臆病に感じるし、それはそのミスによって人にどう思われるかを、すごく気にするから。

「完璧じゃなくて良いんだよ」と少しでも自分に伝えてあげられるようにしたい。

難しいけど・・・。

 

最近、子供のイヤイヤと、ワガママがキツい。時々、強く言ってしまい、後から後悔。「そんなに怒るほどのことか?」

子供に注意するときに、まず自分に言おうと思う。

こういう時間てなんて呼べばいいのだろう?

土曜日は子供の英会話の送り迎えがある。教室には一緒に入れないので、1時間ほど近くのスタバで時間を潰している。その時の、今後の自分のことを考えて、やりたいこと、やったほうが良いと思うことを整理したり、少しプログラムを作ったりしている。

でも、これって、仕事とは少し違う。かといって趣味なのか?と言われるとそこも少し違和感を感じる。じゃあ勉強か?というと、インプットをしているわけではないので、勉強なのか?とも感じる。こういう時間ってなんて呼べばいいのだろう。

本日も朝活の話-3日目

今日も朝活の話から

6時10分くらいに起床して10分瞑想

着替えて、6時40分くらいに朝ランニングと懸垂

7時半に帰宅し、シャワーとお風呂掃除

8時10分くらいから読書

下は今日の記録

今日の記録

今日はこれからやりたいこと・やることを洗い出して、タスク整理の方法を見直していきたい。

朝活2日目

今朝も朝活。

5時に起床し、瞑想

5時半からヨガ→プランクレーニン

6時半から読書

 

朝にyoutubeを見てしまうと気持ちよく起きた分、罪悪感がひどい。

瞑想、ヨガとプランクは全てyoutubeのコンテンツを見ながら実施しているので、他のコンテンツに気を取られないように、気をつけないと。

youtubeはついつい見てしまう魔物。意識的に辞めよう。

 

ちなみに瞑想・ヨガ・プランクレーニングで参考にしている動画は以下。

瞑想とヨガのyoutuberさんは同じ方です。

 

瞑想 【1日10分】朝のマインドフルネス瞑想

youtu.be

 

ヨガ 10分間のゆったり朝ヨガyoutu.be

 

プランクレーニング サッカー長友選手も行う体幹レーニング!10 minute Core Workout

youtu.be

B-lifeはコンテンツも多く、瞑想・ヨガ・ストレッチなどさまざまあります。時間のバリエーションも多いので、希望する時間でのコンテンツを見つけやすく、よく見ています。

プランクレーニングは、長い間、この動画だけをやってる気がする。腹筋や背中周りの筋肉をしっかりとつけたく、時間も10分で、かつ難易度も、私には適切なボリューム感で最後までやり通せてちょうどいいです。

朝活をはじめた

今朝、朝活をしてみた。気持ちを充足感がスゴイ。

  1. 朝5時に起床。
  2. 瞑想を10分。
  3. 5時半から朝ランを5km。
  4. 帰宅してシャワー。
  5. 6時半から読書を20分。

少し眠いけど、まだ1日は始まったばかりで、これだけ出来たということが1日のやる気を作ってくれる気がする。

明日は朝ランをヨガに変えて、続けてみよう。

 

 

 

子供と出かけて思うこと

子供は、遊べるならどこでもいい。近くの公園でも、行き慣れた小さい公園でも、子供にとって安心して遊べる場所なら、子供はいっぱい楽しむ方法を知っている。

それでも、普段行かない場所、遠くの公園、少しでも大きい公園、変わった遊具がある場所などなどに行きたいと思うのは、きっと大人の我儘なんだろうな。

昨日子供と近くの公園で遊び、家に帰って、爆睡した子供を見て思った。

少し残念な気持ちになった、公園

昼からの用事が急遽なくなったので、公園に行くことにした。はじめて行った公園だったが、駐車場を含めて、中はとても広く、きれいな場所で、子供も楽しそうだった。そこでの少し残念な出来事。。

駐車場のスペースはとても大きく、あまり車も多くなかったので、公園への入り口を探しながら、停めやすい場所を考えつつ、車の少ないところを走って、駐車する場所を探していた。

その時、駐車場で、ラジコンをして遊んでいる親子の横を、通り抜けることになったのだが、そこから「こんなとこ、走るなや!」と声が聞こえた。

駐車場で遊んでいる自分たちの邪魔をされたことに対して、文句が出たのだろうが、その文句おかしくないか?と思った。親子がいた場所は、確かに他の車が停めている場所よりも少し離れてはいたが、それでも駐車場の中。

駐車場は、あなたの庭ではないですよー。人に文句が言う前に、自分の行いが正しいのかをちゃんと考えたい、と思った出来事だった。